コロナ禍のもとの日本とドイツ - 日独社会研究ゼミから

木村護郎クリストフ

今、この問題がないかのように脇において、他のことを議論するわけにはいかない。

ということで、急きょ、予定を変更して、私の担当する「日独社会研究」ゼミの2020年度春学期のテーマを「新型コロナウィルス対応の日独比較」とした。

学期開始直前にテーマを変更したのは、2011年の東日本大震災以来である。そのときも、ほかのテーマは考えられないということで「3.11」後の日独比較に取り組んだが、結果的に大正解であった。とりわけ原発をめぐって、日本の出来事がドイツの脱原発に大きな影響を与え、またそのドイツに日本から注目が高まった。エネルギー転換と言えばドイツ、というくらい、日本でドイツに言及しないエネルギー関連の文献はほとんどない状況になった。その後もこのテーマは持続し、何人もの学生が、エネルギーと社会に関連するテーマを卒論でとりあげてきた。

今回はどうだったのか。コロナ禍の影響の大きさから、テーマには事欠かないとは見込んでいたが、実際、学生は予想以上にいろいろな日独比較の可能性をみつけてきた。テーマ探しには日本語をも使ったが、ドイツの状況についてはドイツ語情報を使って検討した。日本でも注目されたメルケル首相の演説(たとえば「安倍首相の「私たち」とメルケル首相の「私たち」にある小さくて大きな違い」参照)や国の中央と地方の関係といった政治面の違いの他、社会的にも、きわめて対照的な反応がみられた。日本で「自粛警察」(ドイツ語に訳せない!)が登場したのに対して、ドイツでは政府による規制に反対するHygiene-Demo(「衛生デモ」と訳せるが、日本語では意味不明だろう)が各地で起きた。日独の政治や社会の違いがコロナによって、より鮮明にあぶりだされた感がある。

日本とドイツは、しばしば共通する課題をもちながら、異なる対応をすることが多い。このことをさまざまな出来事についてとりあげて、社会的課題を考察する手がかりにするのが私のゼミの柱になっている。上にあげたエネルギーや環境問題以外にも、移民難民、隣国との関係、歴史との向き合い方などをさまざまな角度からとりあげてきた。

今後とも、ドイツはすばらしいという「崇独」でもなく、日本とドイツは違うのだ、とドイツとの比較を煙たがる「煙独」に陥るのでもなく、違いが生じる背景を含めてじっくり考えていきたい。比較することから、ドイツ(語圏)についても日本についても、そしてもちろんとりあげるテーマについても、新たな見方が得られることをめざして。

これまでもドイツの大学との遠隔ゼミ会合を行ってきたが(写真)、今学期は毎回のゼミ自体がオンラインとなった。